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2014/11/15 Sat 01:30 日記・時事・業界
今回は写真無しです。
雑談に始まり雑談に終わります。
深刻なことを書こうというわけではありません。
3本立てでーす。ウンガッグッグッ
nophoto

1・オフ会

おかげさまで現段階で何人かの方から参加表明をいただいています。ありがとうございます。
正直私のフォロー能力から考えてこれぐらいが限界、と思うのですがせっかくですからもう一息、計8名あたりを目指したいですね。

そんなわけで時折告知をしているのですが(毎回告知していたら逆にドン引きかな)それ以降動きがありません。
カシャッと速報、というカメラ系まとめサイトで、管理人さんの奥さんがLINEスタンプを売り出しました、という記事がありました。
へえ、と思って見ていたら、その記事のコメント欄に「宣伝うぜぇ」みたいな意見が寄せられていました。
自分のブログで自分の身内の宣伝もしてはいかんのか?と思ったのですが、
読者は「まとめ」を見たいのだ、と思うとまあそう(心の中ででも)言いたくなることはあるかもしれません。
それにしても「宣伝かよ、チッ」みたいな書き込みがあるというのは悲しいですね。
有名税というものなのかもしれません。ただ、それなら私はマイナーのままでいいや、と思いました(笑
ここは私のブログですから、このブログ主催のオフ会の宣伝は好きなだけさせてもらいます。
押し売りや無理強いはしませんから、宣伝することについてはどうぞご容赦ください。
参加費が5000円と「ちょっと高め」ということもあり、友人知人にも原則的に声掛けはしていません。
参加しよう、という方からの意思表示をお待ちしています。

告知記事の「よくある質問」コーナーの文章が明らかに読む側を突き放しているようで参加する気も失せる、という指摘もありました。
が、私としては「優しい表現で多数の参加者を獲得する」ことよりも今回については、
「たとえ参加者が少数であってもその全員に後味の良い思いをして欲しい」ということを優先したいと考えています。
私も公私色々と企画を立てて、イベントらしきことを回した経験が何度かあります。
その中で個人的にいちばん嫌だったのが「しょうもない奴に荒らされる」ことでした。言葉が過激ですが敢えて使っています。
ですので今回は「『しょうもない奴』ってのはこんな連中のことです」と具体的に挙げて、そんな人は来なくて結構、と書きました。
その上で来て下さる方の信頼に私は応えなくてはならないですし、私も参加者の方々を信頼します。
ビッグイベント志向ならこんなことはしませんよね。今回私が求めるのは規模ではなく個々の満足度を上げることです。
機会を得ましたのでここで書いておきました。

ともあれ、参加者は引き続き募集中です!どうぞよろしくお願いします。

2・オリンパス「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO」

このブログをご覧の方の中には、私がこのレンズを手に入れてヒャッハー!と嬉々としてレビューするのをお待ちの方もおられるかもしれません。
が、現時点で私は予約も何もしておらず、また、発売直後の品薄が発表されていますので、手に入れることも出来ないと思っています。
というわけで現時点で私としてはオリ40-150を購入対象として考えていません。すみません。
理由は何だろうか、色々考えたのですが、次の3つに集約されるのだろうなと思いました。

1:出番が無い。
換算80-300mmという画角で何を撮るのか。私は風景も動物もさほど撮りませんから、正直出番がありません。
街撮りで300mm…うーん、無理して使うことも出来るのでしょうけれども。

2:類似品を既に持っている。
パナソニック「LUMIX G X VARIO 35-100mm F2.8」というレンズがありまして、私はそちらを既に所有しています。
オリ40-150がどれだけ優れているのか分かりませんが、パナ35-100が手も足も出ない、なんてことはないと判断します。
何よりパナ35-100は小さいです。それも魅力なのです。
万が一300mmが欲しいとなった時にはオリ40-150mmを検討しますが、私にその機会が来るかどうか。

3:ときめかない。
これがいちばんの理由だと思っています。
自分を客観的に見て思うのはやはり、単焦点派なのだなということです。
明るいから、ボケるから、解像力に優れているから、色々ありますが、やはり「使っていて楽しい」というのが大きいのです。
ズームがダメだ、なんて言うつもりはないですよ。我が家にも大三元があります。
イザという時は単焦点はお留守番、大三元に頼っています。結婚式などもそうでした。

写りについては折り紙つきのようです。このレンズはm43屈指の高解像力レンズだという前評判です。
ただ、ノクチクロンやオリ75に感じたドキドキ感が、無いのです。何かが足りません。何なんだろう。お金か!?

そんなこんなでオリ40-150、たまたま立ち寄ったヨドバシにたまたま在庫があり、たまたま現金を持ちあわせていない限り、
当分の間購入はしないのではないかと思います。無論、将来の購入可能性を否定するものではありません。
とは言うものの、12-40も結局手に入れていないしなあ。「その場の勢い」を逃すと、どうでもよくなるものなのかもしれませんね。

3・百田尚樹「殉愛」

やしきたかじん最期の741日間を百田尚樹が描いた、話題の新刊です。
発売日の朝、通勤途中に本屋に駆け込んで購入しました。で、読みました。そして思い入れることはできませんでした。
私は基本的に単細胞ですので、何かに感激したことがあれば、最近ならTwitterでその思いの丈を延々書き込みます。
が、この本については読んだ後、見事にノーコメントでした(笑
私が今ひとつ「殉愛」に思い入れられなかった理由は、自分でハッキリしています。
(ネットで炎上している、いわゆる「夫人の疑惑」は理由にはありません。正直どっちゃでもいい)

1:本を読む前に、粗筋をテレビで知ってしまったから

発売されたその日に「金スマスペシャル」で2時間たっぷりかけてこの本の内容を紹介していました。
私はそれを「あくまでも表面的に紹介するだけ」だと思っていたのですが、
この番組は結果として浜村淳並にネタばらしをしていたのだということを、後で知ることになります。

テレビは夫人の献身的な看病について、主だったところを詳細に再現ドラマにして見せていました。
出演していた作者の百田尚樹は「本にはもっと多くのことが書いてある」と番組で紹介していましたが、
看病シーンについては概ね番組の印象通りだったと思います。
それだけに、本を読んだ時「テレビで見たやん」以上の感想を持ち得ませんでした。

また、本書のプロローグにおいて、
スキャンダラスな記事をあらかじめ読んでいて夫人を怪しんでいた百田尚樹が、翻意して本を書こうと思うに至った、
そのスイッチをいれさせた夫人の一言、というのがあったのだ、という一節があり、
その一言とは何だったのか、というのを本編終盤まで引っ張っていたのですが、
私も「百田尚樹にすべての仕事を半年後回しにする決断をさせるほどの一言とは何だったのだろう」と読み進めていたのに、
それが先述の金スマでさらっと紹介され事も無げにスルーされていたフレーズだったと分かった時には正直がっかりしました。
読み物としてツボを押さえきれていない印象です。

百田尚樹の作品といえば私は「海賊とよばれた男」が好きなのですが、そちらも詰めが甘いとは思っていました。
日章丸が帰国し、国岡鐵造が原油差し押さえの裁判に勝利した後はトーンダウンしてしまい作品全体が尻すぼみになっています。
感動もしましたしラジオの朗読も録音して今でも時折聴き返しますが、惜しい、最後が弱かった。

百田作品の「弱点」が露呈しているのかも…そんな読後感でした。

2:お金に困った様子がまったくないから

これをご覧の方がどう思うかは分かりませんが、身内、もしくは自分自身がガンにかかって最初に思うのはもちろん命についてですよね。
で、その次に思うことは、私なら、お金の工面についてです。

高額医療といっても保険がありますから最低額の負担で済みます。とは言え、手術だ入院だ検査だ薬だ、ある程度はお金がかかります。
また、それが自分自身だった時には仕事との兼ね合いも考えないといけませんよね。
入院や通院だと言って休ませてもらえるか、会社によってはやんわり退職をすすめられたり。
で、仕事を失ってしまうと治療費を出せなくなるのでは、という不安がつきまといます。
命をつなぐためには治療を受けなくてはならない、だけど治療を受けるためにはお金が必要、
お金を用意するためには働かねばならず治療が後回しになりがちになる…このスパイラルから脱出する方法はあるのでしょうか。

この本には、そのような「経済的不安」がまったく登場しません。
金持ち夫婦が高度な医療と海外療養を繰り返す、という構図なのです。
もちろんたかじんが経済的に恵まれているのは本人の努力によるものですし、夫人の看護は献身的だと読んでいて思いましたが、
それを承知の上でも、感情移入することは私は難しかったです。
病室のたかじんに言われて指輪を買いに行くシーンとかありましたよね、死ぬ前に自分のお墓をハワイで買っていましたよね。
大阪から出て、東京で、札幌で、ハワイで療養しよう…普通の人には無理ですよね。
愛の深さよりも先に、贅沢できるんだなあ、お金持ってるなあ、とそればかりが印象に残りました。

念の為に書きますと、私は大阪出身で、たかじんのことは現在のように圧倒的な地位を得ている前から好きでしたし、
面白いと思って見ていた視聴者の一人です。当時は上岡龍太郎と並ぶ「トークが立つ」タレントでしたよね。
ですから亡くなったというニュースを見た時にはしばらくの間しんみりしていました。

もし私が今不治の病に侵されたらどうするかなあ。
最低限のお金で済ませられるよう、痛みや苦しみを和らげることだけお願いするかもしれません。
治療にはお金がかかるでしょうし、周囲にも迷惑をかけたくないですし。
ですから、「お金がある」「完全に甘えることが出来る人がいる」という状況に、どうしても感情移入できませんでした。

…というわけで、どうも私は「殉愛」にのめり込むことができなかったわけです。
皆様はどうお感じになられたでしょうか。

スキャンダルについて

夫人の疑惑が色々持ち上がっていますが、仮にそれらが事実で「殉愛」がデタラメ本だったとしたらどうでしょうね。
私としてはやはり「裏切られた」と思うのだろうか、いやそこまでの思い入れはないから、「ああ、そうなのか」で終わるかな。
でも、まるっきりデタラメだとは思えません。
そりゃ夫人も無意識のうちにでも百田尚樹の取材に対して自分を良く見せようとは思ったでしょうけれども、
全部嘘っぱちなんてことはない、はず。
関西のテレビ界の重鎮が揃って夫人と口裏を合わせた、というのも考えづらいです。
100か0か、という議論にはならない気がします。百田尚樹だけに。

たかじんのがんが再発していたことが発覚した後、それでも少しは体調がマシな時もあったそうなのですが、
それが急激に悪くなり、検査を受けたら「腹膜播種」だと宣告された、というくだりがあります。
腹膜播種というのは米粒ぐらいのがん細胞が腹膜に無数にできる状態のことだそうで、
こうなると「もはやこれまで」、あとは痛みを抑えるケアをするぐらいしか出来る事がない、らしいのです。
不屈の精神で看病していた夫人がここでついに「心が折れた」
ということが書かれているのですが、このシーンは恐ろしくリアルでした。
全身の血の気がサーッと引く思いだったはずです。

「60歳で死ぬ」とテレビで公言していた(らしい)たかじんが途端に怖気づいて「死にたくない」と漏らすあたりなど、
「太陽にほえろ!」で松田優作が殉職するシーンを連想しました。不謹慎ですかね。
普段どれだけ豪放磊落でも自分の死を直視することは難しい、ということが語られているのだと思いました。
いずれにせよ他人事ではない、目を背けてはいけないのだと思いました。
たぶん「殉愛」についてはこれ以上書くことは無いと思います。
百田尚樹は好きな作家ですので次回作に期待しています。

長くなりました…

今回はこの辺で。
カメラと全然関係ない話をしてしまいました。たまにはいいか。
書きたかったのはオフ会のこととオリ40-150のことだったんですけどー

またぜひお立ち寄りください。よろしくお願いします。
m(_ _)m
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