ソニーα・マイクロフォーサーズのデジタル一眼カメラで撮影した動画や写真、初心者向けや撮影現場で使える撮影術や新製品レビューも豊富。クリスマスイルミネーションなど季節ごとの写真も充実しています。読み物としても充実させることを目指しています。
トップ > ソニーα > α7Rと広角レンズで歩く東京駅丸の内口
2014/10/21 Tue 18:00 スナップ写真 | 写真 | ソニーα

ソニーから来月、Eマウントフルサイズ対応広角ズームレンズが発売されます。
私はそれを購入候補として検討しているのですが、16mmスタートの画角というのは普段使わないもので、
仮に手に入れた場合、それを「元が取れる」ような頻度で持ち出す機会を与えることができるか、ということを、
ここしばらく「タムロン11-18mm F4.5-5.6」をα7Rにくっつけて持ち出すことでシミュレーションしています。
前回は東京駅八重洲口を撮った写真を掲載しました。今回は丸の内となります。
毎度おなじみ丸の内です。撮り方も変えていませんから「いつもと同じところから撮った写真」が連続するかと思います。
お見捨てなきよう、お付き合いいただければ幸いです。

●話はそれますが…

さて、先日日曜日の夜、NHKでとても興味深い番組が放送されました。
カラーでよみがえる東京
~不死鳥都市の100年~


明治末期~昭和初期という、カラーフィルムが存在しなかったか非常に高価でほとんど使用されることがなかった時代の、
東京の風景を収めた映像をかき集めて、専門家が考証を行いカラー化した映像を、ひたすら流すという番組でした。
主観で恐縮ですが、この番組は素晴らしかった。
白黒映像がカラーになるだけで、その時代に生きた人々の生活が、人生を謳歌する姿が、時代に翻弄され苦難の道を歩む姿が、
浮き上がってくるかのように見えました。

江戸時代はもちろん明治・大正時代、昭和も戦前となりますと、同じ日本と思えない、断絶しているような印象で捉えがちですが、
その時代から今の日本が間違いなく続いてきているのだ、と、テレビを見ていてあらためて感銘を伴い再確認できました。
これこそがまさしく映像の力だ、と私は思いました。

興味がある方は10/22(水)深夜24:40から再放送があるそうですので、ぜひご覧いただければと。
最近のNHKにしては珍しく、中国も韓国も出てきません。
評価は人それぞれですが、私は極めてまじめに作られた番組だと思いました。

●NHKのステルスタイアップ

で、その番組のサブタイトルが「不死鳥都市の100年」となっているのですが、
この番組がこの時期に放送されたのは、憶測ですが「東京駅開業100周年」と決して無関係ではないですね。
番組の映像の大半が山手線の東側、当ブログがメインフィールドとして扱っている場所に偏っており、
その意味で私個人的にものすごく楽しめたのは余談ですけれども、
それらの映像の中心のひとつだったのが「東京駅丸の内駅舎」でした。

かつて「地下鉄開通80周年」として東京メトロが大々的にイベントを打っていた時期にNHKは「その時歴史が動いた」で、
早川徳次(はやかわのりつぐ、「地下鉄の父」と呼ばれる人物で帝都物語にも登場)を採り上げていたりしました。
まあそんなの可愛いものです。東京駅は歴史的遺産ですし早川徳次は偉人です。そこは取り違えていません。

●カラー映像の力

100年前の映像(写真ではないですよ、映像です)が、カラー化された。
その映像の中にあった東京駅は、現在のものと違わぬ堂々たる姿でした。
現在の東京駅丸の内駅舎は「復原」という、もとの状態を(可能な限り)そのまんま再現する方針だったわけですが、
本当に「そのまんま再現されているのだな」ということが実感できました。
それはまさしく、カラー映像の力です。
もちろん、内部の構造などは現代の技術で現代の事情にあわせて作られていますが、
それをもって「なんちゃって復原」という評価は適切ではないですよね。
ICカード全盛の現在に、今更駅員さんにハサミ持って立たれても困惑します(笑
DSC08795

●なぜかモノクロ論へ

この番組について、ポイントはやはり番組のテーマである「カラー化」ですよね。
「色のある世界」に生きる私にとって、やはりカラーの方が生々しく感じられます。
ではモノクロがダメなのか、とか、そんなことを言いたいわけではないですよ。撮りたい時に撮ればいいだけの話。
モノクロの「是非」なんて、今回は論点ですらありません。
モノクロでしか見ることができないと思っていた映像が、思いがけなくカラー化された、その時に私は、
「モノクロの時には感じられなかった生々しさ」や「自分が撮っているものにまで連なっていく歴史の連続性」を感じた、という話です。

ただ、モノクロの「使いどころ」についてはやはり思いを馳せてしまいます。
モノクロは作品性を求める時に使う、ということになるのでしょうし当ブログでも「モノクロである必然性はどこにあるのか」
とたびたび話題にしてきましたが、私としては何も導き出せていません。
例えば「子供がまだ赤ん坊の頃」の写真を残すとして、カラーかモノクロか。私はスタンスが明確で、これはカラーで残すべきです。
いやモノクロの方が、と思われた方、カラーを捨てて今後は全部モノクロで残してみてください。将来絶対後悔しますから(笑
現代人が撮るモノクロというのは、カラーで撮れることも担保されているという心の余裕、その中から生み出されるモノクロなのです。
その中から何が生み出されるか、何を生み出すことが出来るか、だと思うんですよね。上に書いたとおり、結論は出てません。
DSC08930

●あえて暴論、今モノクロで撮る写真の大半は時代を超えて生き残ることができない

この写真は「セピア」で撮りました。構図とか技術とかはともかく、100年後に意味を持つかというと、
この写真については「同じ所から撮ったカラー写真」の価値には及ばないと思います。
ここで使うセピアは「カラーは見慣れているから、かえってちょっと新鮮味があっていいね」と、見た瞬間思うだけであって、
時代に洗われると綺麗に溶けてなくなってしまうのではないか、と思っていますし、この時はそれを承知で撮りました。

もちろん時代を超える作品も生まれ得るのでしょうが、あえて暴論をかましてみますと、
現代に撮られた写真で、「モノクロ(やセピアも)」であることが理由で、後世にまで残る写真作品、があるかというと、
これはなかなか難しいですね。思い浮かびません。
「お前のヘタクソなモノクロ写真は、そりゃ生き残れないだろうよ」という耳の痛いツッコミも聞こえてきますが私が言いたいことは
つまり「モノクロであることが合理的理由を持つ作品」を作る時には、それ相応の考察と本気と覚悟が必要だ」
ということになるのではないか、ということです。
省略の美学、とか、光と影だけで描く、という技法の話より、さらに根源的な部分で「モノクロの必然性」が、あるのかないのか。
突き詰めると好みの問題に帰着するのか、だとしたら「お仕着せのエフェクト」という意味でアートフィルターと何が違うんだろうか。
そのようなことを考える、良いきっかけになりました。

遠い未来、写真の形がさらに変わって、SFのようにホログラフィーのような立体視するものに進化した場合、
現代で撮られている高解像写真も「3D化」されて未来のNHKスペシャルで放送されることになるのかもしれませんね。
DSC08905

●さらに暴論。映像や写真は本質的に「記録」なのだ
(省略。後日に温存)

●本題に戻します。広角広角。

長くなりました申し訳ありません。
「表現手法のひとつとしてのモノクロとは何か」と考えていたところに、
モノクロだったはずの映像がカラー化された、その圧倒的な映像の力に「この時代にモノクロで撮る理由は『好み』だけか?」
と思ってしまったのです。
デジタル時代の新参者がモノクロについて延々論じるという。先輩諸氏からしたらちゃんちゃらおかしいことでしょう(笑
モノクロの話はここでおしまい。また機会があれば書きます。

さて、今回はカラーでバリバリ行きますよ!(笑
広角じゃあ!どーん!
DSC08802

もひとつ広角じゃあ!どーん!
DSC08894

ますます広角が楽しくなってきましたねえ。ノリノリで撮っていました。
こりゃオリ40-150は延期か!?
DSC08857

今回はこの辺で。
結局NHKの番組の感想ばかりで肝心なところは触れずじまいでしたね。尻すぼみですみません。
広角は楽しい!ということだけ伝わっていれば、今回のところはそれで良しといたします。
またぜひお立ち寄りください。よろしくお願いします。
m(_ _)m
DSC08840











今回の
撮影機材







関連記事
このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly Subscribe with livedoor Reader
Secret

TrackBackURL
→http://dtr2008.blog32.fc2.com/tb.php/1039-e5d52853